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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)1564号 判決 1982年10月28日

原告

片山重範

原告

片山ヤスエ

右原告両名訴訟代理人

丸山英敏

被告

日産火災海上保険株式会社

右代表者

本田精一

被告

アメリカン・インターナショナル・アンダーライタース株式会社

右代表者

松原煕

被告

アメリカン・ライフ・インシユアランス・カンパニー

右日本における代表者

藤野弘

右被告三名訴訟代理人

尾埜善司

前田嘉道

富阪毅

被告

大東京火災海上保険株式会社

右代表者

塩川嘉彦

右訴訟代理人

川岸伸隆

被告

阿南市

右代表者市長

吉原薫

右訴訟代理人

三木大一郎

主文

原告両名の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告両名の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判<省略>

第二  請求原因

一  事故の発生と原告重範の受傷

原告重範は、昭和四九年六月二六日午前四時ごろ、同人の妻原告ヤスエ運転の普通乗用自動車(大阪四四せ二〇号。以下「本件自動車」という。)の助手席に同乗し、阿南市道平松蒲生田線を走行中、同市椿町船瀬三五番地岡山昇方東方約三五〇メートル先の幅員約三メートルの山道(以下「本件山道」という。)において、原告ヤスエが、右山道中央付近に存する直径約三〇センチメートルの石塊を認め、これを避けようと左にハンドルを切つたことにより、本件自動車を進行方向左側の山腹に衝突させ、さらに山側からの落石が同車フロントガラスに当つた事故によつて、前額部打撲傷、右眼角膜損傷、頭部外傷二型、頸椎捻挫の傷害を負つた。

二  原告重範の後遺障害

1  原告重範は、前記一の傷害を負つたため、左記のとおり合計三六日間入院し、治療を受けた。

(一) 医療法人原田病院(四日間)

昭和四九年六月二六日から同月二九日まで

(二) 関西医科大学付属香里病院(八日間)

昭和四九年七月二日から同月九日まで

(三) 野川病院(二四日間)

昭和四九年八月五日から同月二一日まで及び同月二七日から同年九月二日まで

2  しかしながら、同原告には、両眼失明の後遺症が残存し、右症状は昭和四九年八月八日固定した。

三  被告日産火災海上保険株式会社、同アメリカン・インターナショナル・アンダーライタース株式会社、同アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニーの責任

1  原告重範は、被告日産火災海上保険株式会社(以下「被告日産」という。)との間で、左記(一)、(二)記載の保険契約(以下「本件(一)、(二)契約」という。)を、被告アメリカン・インターナショナル・アンダーライタース株式会社(以下「被告インター」という。)との間で、左記(三)、(四)記載の保険契約(以下「本件(三)、(四)契約」という。)を、被告アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(以下「被告ライフ」という。)との間で、左記(五)記載の保険契約(以下「本件(五)契約」という。)をそれぞれ締結し、また、原告ヤスエは、被告インターとの間で、左記(六)記載の保険契約(以下「本件(六)契約」という。)を締結した。

(一) 交通事故傷害保険契約

(1) 契約日 昭和四八年八月一四日

(2) 保険証券番号 第三三六〇〇七八号

(3) 保険期間 昭和四八年八月一六日から昭和四九年八月一六日まで

(4) 被保険者 原告重範

(5) 保険金 一〇〇〇万円

(6) 医療保険金 五〇〇〇円(日額)

(7) なお、約款には、運行中の交通用具に塔乗している被保険者が、急激かつ偶然な外来の事故に起因して傷害を被り、その傷害の直接の結果として一八〇日以内に両眼失明の後遺障害が生じたときには、保険金額の一〇〇パーセントが支払われる旨、また、右傷害の直接の結果として病院等に入院した治療日数に対しては、入院日数一日につき医療保険金日額に1.5を乗じた金額が支払われる旨の約定が存在する。

(二) 傷害保険契約

(1) 契約日 昭和四八年八月一四日

(2) 保険証券番号 第三三六〇〇七九号

(3) 保険期間 昭和四八年八月一六日から昭和四九年八月一六日まで

(4) 被保険者 原告重範

(5) 保険金 五〇〇万円

(6) なお、約款には、被保険者が、急激かつ偶然な外来の事故によつて傷害を被り、その傷害の直接の結果として一八〇日以内に両眼失明の後遺障害が生じたときには、保険金額の一〇〇パーセントが支払われる旨の約定が存在する。

(三) VIP傷害保険契約

(1) 契約日 昭和四八年九月二〇日

(2) 保険証券番号 第五六四八二七号

(3) 保険期間 昭和四八年九月二〇日から昭和四九年九月二〇日まで

(4) 被保険者 原告重範

(5) 保険金 基本金二〇〇〇万円

(6) なお、約款には、被保険者が偶然の事故によつて傷害を被り、その傷害が直接かつ単独に一八〇日以内に両眼の視力の喪失をもたらしたときには、基本金額の全額が支払われる旨の約定が存在する。

(四) 旅行傷害保険契約

(1) 契約日 昭和四九年六月二一日

(2) 保険証券番号 第T―四九〇九七〇三号

(3) 保険期間 昭和四九年六月二三日から五日間

(4) 被保険者 原告重範

(5) 保険金 基本金三〇〇万円

(6) なお、約款には、前記(三)の(6)記載と同じ趣旨の約定が存在する。

(五) 生命保険契約

(1) 契約日 昭和四九年六月一一日

(2) 保険証券番号 第二五二七号

(3) 保険期間 昭和四九年六月一一日から昭和六九年六月一〇日まで

(4) 被保険者 原告重範

(5) 保険金

主契約(死亡保険) 五〇〇万円

災害保障特約(災害保険) 五〇〇万円

災害死亡給付特約(災害保険) 一五〇〇万円

(6) 被保険者死亡の場合の保険金受取人 原告ヤスエ

(7) 主契約約款には、契約日以後の傷害により、「両眼の視力を全く永久に失つたとき」の状態になつた場合には、死亡保険金を廃疾給付金として死亡保険金受取人に支払う旨の約定が存在する。

(8) 災害保障特約には、偶発的な外来の自動車による交通事故を直接の原因として、九〇日以内に、「両眼の視力を全く永久に失つたもの」の状態に該当した場合には、災害保険金額(一〇割)を傷害給付金として被保険者に支払う旨の定めが存在する。

(9) 右災害死亡給付特約には、前記(7)記載の事故を直接の原因として、九〇日以内に、主約款に定める(前記(7))廃疾状態になつたときには、災害保険金を主契約の死亡保険金受取人に支払う旨の約定が存在する。

(六) 自動車塔乗者傷害保険契約

(1) 契約日 昭和四九年二月二六日

(2) 保険証券番号 第八〇九八八五〇号

(3) 保険期間 昭和四九年二月二六日から昭和五〇年二月二六日まで

(4) 被保険者 保険契約者の許可を受け、本件自動車に塔乗中の者

(5) 保険金 基本金五〇〇万円

(6) なお、約款には、被保険者が、偶然の事故によつて傷害を被り、その結果として(直接かつ単独に)一八〇日以内に両眼の視力の喪失した状態になつたときには基本金額の全額が支払われる旨の約定が存在する。

2  原告重範は、被告日産に対し、本件(一)、(二)契約に基づき、各保険金の支払請求をなし、右保険金請求書は昭和四九年一一月一五日受付されたが、同被告は、右(一)、(二)契約約款所定の同日から三〇日以内に保険金を支払わなかつた。

四  被告大東京火災海上保険株式会社の責任

1  原告ヤスエは、昭和四八年八月九日、被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京」という。)との間で、本件自動車について、保除期間を同日から昭和四九年九月九日までとする自動車損害賠償責任保険契約(保険証明書番号八〇―五六八六六八。以下「本件(七)契約」という。)を締結した。

2  原告ヤスエは、本件自動車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであり、その運行によつて前記一記載の事故を起こしたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に従い、原告重範の被つた後記損害を賠償する責任がある。

3  したがつて、被告大東京は、自賠法一六条一項により、原告重範に対し、保険金額の範囲内で、損害賠償額の支払をなす責任がある。

五  被告阿南市の責任

1  本件山道は、被告阿南市の設置、管理する営造物である。

2  ところで、右山道は、山の中腹を切りとつて設置され、山側は高さ約一五メートルの急斜面、海側は深い崖となつている。山側の崖は一〇メートル位まで風化した岩石が露出しているうえ、わずかな降雨によつても土砂が流されるため、山道への落石の危険があり、現に従来から落石が絶えず、ことに雨の日の翌日などは大小無数の石が山道に落下していた。

このように、山側からの落石、土砂崩れの危険性の存する本件山道を管理する同被告としては、地形、地質等の状況に応じた防護措置として、法面を金網で押えるとか、モルタル吹付で固定させるとか、あるいは道路幅を拡張するなどの措置を講じ、本件山道の通行の安全を保つべきであるのに、何らの措置も講じなかつたうえ、付近に落石注意の標識さえもなかつた。

3  したがつて、本件事故は、本件山道の設置、管理の瑕疵により発生したものであるから、被告阿南市は、国家賠償法二条一項により、原告重範の被つた後記損害を賠償する責任がある。

六  原告重範の損害

1  後遺障害による逸失利益

三七九七万七六〇〇円

原告重範は、昭和九年九月一三日生で、事故当時、奈良県生駒市谷田町一三二九「中道建設工業」に大工として勤務し、一か月平均一八万四〇〇〇円の収入を得ていた。

しかるに、同原告は、本件事故による両眼失明の後遺障害(後遺障害等級一級一号に該当する。)のため、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものであるから、その就労可能年数を症状固定日から二八年間(六七才まで)と考え、この間の原告の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおりとなる。

(算式)18万4000×12×17.2=3797万7600円

2  慰藉料(後遺症によるもの。)

一〇〇〇万円

原告重範が、前記後遺障害により被つた精神的苦痛を慰藉するには、右金額が相当である。

3  弁護士費用 三〇〇万円

七  本訴請求

よつて、原告重範に対し、被告日産は、本件(一)契約による後遺障害保険金一〇〇〇万円、医療保険金二七万円と本件(二)契約による後遺障害保険金五〇〇万円の合計一五二七万円及びこれに対する前記保険金支払猶予期間経過した翌日である昭和四九年一二月一六日から右支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を、同インターは、本件(三)契約による傷害保険金二〇〇〇万円、本件(四)契約による傷害保険金三〇〇万円と本件(六)契約による塔乗者傷害保険金五〇〇万円の合計二八〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五一年二月一〇日から右支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を、同ライフは、本件(五)契約による災害保険金五〇〇万円及び本訴状達の日の翌日である前同日から右支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を、同大東京は、本件(七)契約の保険金額(後遺障害一級につき、一〇〇〇万円)の限度内において、一〇〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日である前同日から右支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、同阿南市は、前記損害額合計五〇九七万七六〇〇円及びこれに対する本件事故発生の日の後である同月一六日から右支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、原告ヤスエに対し、被告ライフは本件(五)契約による主契約保険金五〇〇万円と災害保険金一五〇〇万円の合計二〇〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五一年二月一〇日から右支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。

第三  請求原因に対する答弁並びに被告らの主張

一  答弁

1  請求原因一記載の事実について

(被告阿南市)

原告ら主張の日時、場所において、原告ヤスエ運転の本件自動車が山道に衝突したこと及び原告重範が何らかの傷害を受けたことは認めるが、同原告の傷害の部位、程度は知らないし、その余の事実はすべて争う。なお、本件山道の幅員は六メートル(有効幅員五メートル)である。

(その余の被告ら)

知らない。

2  同二記載の事実について

(全被告)

知らない。

3  同三記載の事実について

(被告日産)

すべて認める。

(被告インター、同ライフ)

同1記載の事実は認める。

4  同四記載について

(被告大東京)

同1記載の事実は認める。同2、3記載の点は争う。

5  同五記載について

(被告阿南市)

同1記載の事実は認める。同2、3記載の点は争う。

6  同六記載の事実について

(被告大東京、同阿南市)

知らない。

二  全被告共通の主張

1  原告らの故意による事故の発生

かりに、原告重範が本件自動車に同乗中何らかの事故により負傷したとしても、右事故は、原告らがあらかじめかけていた多額の保険金を取得すべく、故意に惹起せしめたものであることは、次の諸点から明らかである。

(一) 原告重範は、「真弓重則」という氏名であつたところ、昭和三四年三月九日原告ヤスエ(片山ヤスエ)と婚姻し、「真弓」姓であつたが、昭和四五年四月一六日、「重則」から「重範」に名を変え、昭和四六年二月一三日、原告ヤスエと協議離婚、その後の昭和四七年頃、再びヤスエと婚姻届出をして、妻の氏である「片山」姓を名乗るようになつたものである。もつとも、原告両名は、右離婚期間中も同居していた。

(二) 原告重範は、元富士火災海上保険株式会社に外務員として勤務していたが、昭和四二年頃から明治運送株式会社の嘱託として交通事故の処理を担当するようになつたところ、(1)昭和四三年三月六日、同社従業員が惹き起こした交通死亡事故に関し、同社の事故係として被害者遺族との間に三八〇万円で示談を成立させたのに、自賠責及び任意保険会社である被告日産には、四二〇万円で示談が成立した旨申告して、同被告から四〇七万五一九四円を交付させた件、及び、(2)同年九月二九日、同じく同社従業員が惹起した交通死亡事故に同様に関与し、三五〇万円で示談を成立させながら、同じ方法で、自賠責保険会社の東京海上火災保険株式会社から三〇〇〇万円、任意保険会社の被告日産から一六〇万円を交付させた件等で、起訴された。

(三) 原告重範は、大正海上火災保険株式会社との間に建物・什器を目的とする保険金額五七〇万円の火災保険契約を締結し、昭和四六年一月二日の火災事故発生を理由に、右会社に対し、保険金請求をなし、接衝の結果三八五万円の支払を受けた。

(四) また、原告重範は、別紙一記載の七件の保険契約を締結した。

(1) 右七件の保険契約の保険期間中である昭和四六年七月二四日午前三時三〇分頃、兵庫県多紀郡丹南町波賀野六一九番地先路上において、原告重範運転の先行自動車が、対向車を避けるべく、左に転把して電柱に衝突したところへ、原告ヤスエ運転の後続車が追突し、そのため原告重範着用のサングラスが破損し、ガラス片が左眼にささる事故(以下「第一事故」という。)が発生し、同年一二月二一日左眼視力眼前指数弁(矯正視力0.01)の後遺症が残つたとの診断を受けた。

(2) 前記保険契約のうち、①ないし④の契約の保険期間中である昭和四七年四月七日奈良県下で、追突事故(以下「第二事故」という。)に遭つた。

(3) そこで、原告重範は、右第一事故に関し、次のとおり、各保険金の支払を受けた。

(イ) 昭和四七年三月八日、「真弓重範」名で、原告ヤスエ運転車(レンタカー)の自賠責保険会社である被告日産に対し、被害者請求手続をとり、昭和四八年五月二四日、治療費二三万七一二三円、慰謝料九万六〇〇〇円、左眼視力0.02以下の後遺障害八級一号該当の補償費一六八万円の合計二〇一万三一二三円の半額にあたる一〇〇万六五六二円の支払を受けた(うち、治療費分は野川病院が直接保険会社から支払を受けている。)。

(ロ) また、「真弓重範」名で、日本生命相互保険会社に対し、前記①の保険契約に基づき、保険金二八〇万円の支払を求める訴えを大阪地方裁判所に提起し(昭和四七年(ワ)第一〇二八号)、昭和四七年一二月二六日、同社が原告重範に七〇万円を支払うことで和解が成立した。

(ハ) さらに、「真弓重範」名で、昭和四八年七月一八日、前記②ないし⑦の保険契約に基づき、東京海上火災保険株式会社に対し一〇〇五万円、興亜火災海上保険株式会社に対し八七一万円の保険金の支払を求める訴えを大阪地方裁判所に提起し(昭和四八年(ワ)第三二二六号)、同年一二月二〇日東京海上が一〇七万一四二九円、興亜火災が九二万八五七一円をそれぞれ原告重範に支払う旨の裁判外の和解が成立し(右和解において、原告重範は右裁判上の請求外に第二事故に基づく保険金請求権も併せて放棄している。)原告重範において右訴を取下げた。

(五) しかも、原告らは、前記保険金請求訴訟の提起前後から、別紙二記載の五件の保険契約を結び、そのうえ、本件事故までに、本件(一)ないし(七)契約の各保険に加入したもので、本件事故発生時に保険期間満了により失効していたのは、右一二件中、別紙二記載の⑤の保険契約のみであつた。

(六) 本件事故前後の状況は、次のとおりである。

(1) 原告らは昭和四二年夏頃、四国旅行中、徳島県阿南市椿町蒲生田岬所在の民宿「しずふく荘」の経営者岡本春義、えい子夫婦と知り合い、以後毎年数回に亘り家族連れで右「しずふく荘」を訪れ一週間ほど宿泊を重ねていたが、昭和四五年夏を最後に音信を断つた。ただ、昭和四六年秋に原告ヤスエが一人で右「しずふく荘」に預けてあつた小型発電機を取りに阿南市椿泊港まで車で来たところ、そこから「しずふく荘」までの道路(本件事故現場を通る道)が恐しくて運転できないため、「しずふく荘」の岡本春義に電話して右発電機を椿泊港まで船で運んできたもらつたことがあつた。

(2) ところが、原告両名は、昭和四九年六月二五日午後二時過頃、突然本件自動車で右「しずふく荘」を訪れ一泊したのち(当日は以前再々宿泊していたときと異なり、食事も注文せず部屋に閉じ込もつたままであつた)、翌二六日午前四時頃、同所を出発して事故現場へ向つた。

その後の同日午前四時五三分に阿南市椿町の横田荒物店横の公衆電話から一一〇番で事故発生の通報をなし、それから約四〇分後に阿南警察署に両名連れ立つて出頭し、次のとおり申し立てた。

「原告ヤスエが車を運転して午前四時三〇分頃、事故現場にさしかかつたところ、左上方から直径約三〇センチ大の石が落下して車にあたつたので運転を誤つてハンドルを左に切つたところ、左側の山腹に車が接触し、そのショックで助手席に坐乗していた原告重範がフロントガラスに頭を突つ込み顔面並びに眼を負傷した。」

ところが、同日午前九時四〇分頃、阿南警察署交通課所属警察官が実施した実況見分に際し、これに立会つた原告ヤスエは、右申立と異なり、直径約三〇センチ大の石が本件自動車を直撃したのではなく、本件山道中央に右大きさの石があつたので、それを避けるためハンドルを左に切つた、と説明した。

また、右実況見分の際、本件山道には、ウインドガラスが破損したと思われるような大量のガラス破片の散乱は認められず、右三〇センチ大の石も発見されなかつた。

なお、本件山道は、国鉄牟岐線阿南駅から約二五キロメートル離れた山間の峠道で、その大半はでこぼこの未舗装道路で、地元民さえほとんど利用していなかつた。したがつて、事故の状況を目撃した者や、当時の通行車両は皆無であつた。

(七) 原告重範は、阿南市内の原田病院整形外科に入院したが、前額部打撲程度の軽症で、四日間入院したにすぎなかつた。また、同原告は、眼の疼痛を訴え、同市内の笹野眼科医院で診察を受け、「自動車で走行中落石によりフロントガラスが破損し、その破片でやられた。」と説明したが、検査結果では、角膜の混濁、出血、浮腫、炎症等は認められず、穿孔もなかつた。もとよりガラス片などは全く見受けられなかつた。したがつて、同眼科においては、全治五日間程度と診断し、活性ビタミン注射と点眼薬を投与したに過ぎず、失明などという事は到底考えられない症状であつた。

(八) 原告重範は、昭和四六年六月二九日原田病院整形外科の紹介状をもらつて大阪へ帰つてくるや早速門真市の斎藤眼科、関西医大付属香里病院、関西医大付属病院、守口市の野川病院と転院を重ねているが、右香里病院では同原告の訴える視力障害の原因が疑問であるとして検査の為附属病院に廻され、同院において特殊レンズによる眼底検査を行つた結果両眼とも光に対する反応が認められた。しかるに同原告は、その眼前二〇センチで手を動かしても「見えない」と訴えるのみであつた。右検査は同年七月二九、三〇日の両日に行なわれたのであるが、香里病院においても、結局、右検査結果を受けて同年九月六日付で視力左、右共眼前手動弁(不能)として後遺症診断書を作成している(しかし、同診断においても、眼科的所見のみでは視力障害を説明し難い旨付言されている。)。

(九) 原告らは、昭和四六年三月二〇日堺市北野田二三一から門真市大原三ツ島一八九〇―二〇に転居し、同年九月四日守口市大日東町八〇―三へ、昭和四七年三月一一日四条畷市岡山四五へ、さらに昭和四八年春頃から同市岡山四九―二へと転々と居を移し、本件事故発生当時は岡山四九―二において木造瓦葺二階建店舗兼居宅二戸一棟の一戸を借り、二階(四・五畳二間)で居住し、一階で「大宝軒」なる名称で中華そば店を営んでいたところ、昭和四九年一〇月末頃家主に連絡もせずに転居した。その後、原告らは、同市岡山六八二―三の民間アパート(家主林仲次)の一室に居住していたが、右家主の妻輝子が民生委員をしているのを利用して右転居後、四条畷市社会福祉協議会から、駈込困窮資金五万円療養資金一五万円世帯更生資金五〇万円の合計七〇万円を借り入れ、さらに五〇年二月にも新たな資金の借入れを申し込んだが、留保された。

(一〇) 原告は、前記関西医大の後遺症診断書を含む各病院の診断書に基づき、次々と保険金請求を始め、別紙二記載の①ないし④の簡易保険については、請求の結果、昭和四九年九月一四日、七八万四五〇〇円、同月一七日一五〇万円、一〇月一日、二九五万四五五〇円の合計五二三万九〇五〇円の支払を受けた。<中略>

三  被告日産の主張

1  原告らの故意による保険事故招致

(一) 本件(一)契約約款一条二号及び本件(二)契約約款一条一項は、いずれも、「偶然な事故による傷害」について保険金を支払う旨定め、本件(一)契約約款一〇条一項一号及び本件(二)契約約款九条一項一号は、いずれも、保険契約者又は被保険者の故意により生じた傷害については保険金を支払わない旨定めている。

(二) そして、前記二の1で主張したとおりであるから、右「偶然」性の要件を欠き、また、右各免責条項に該当する事由があるといわなければならない。<中略>

四  被告インターの主張

1  原告らの故意による保険事故招致

(一) 本件(三)契約約款特別条項、本件(四)契約約款前文及び本件(六)契約約款特別条項はいずれも、「偶然な事故による傷害」について保険金を支払う旨定めている。

(二) そして、前記二の1で主張したとおりであるから、右「偶然」性の要件を欠くものといわなければならない。<中略>

五  被告ライフの主張

1  原告らの故意による保険事故招致

(一) 本件(五)契約の災害保障特約九条及び災害死亡給付特約六条は、いずれも、「偶発的な外来の事故」を直接の原因とする身体障害もしくは廃疾状態に対し傷害給付金もしくは災害保険金を支払う旨定めている。

また、本件(五)契約の主契約約款一六条一項二号は、保険契約者、被保険者又は死亡保険金受取人の故意による傷害行為によるときは、廃疾給付金を支払わない旨、災害保障特約一五条一項一号は、保険契約者又は被保険者の故意によるときは、傷害給付金を支払わない旨、災害死亡給付特約一〇条一項一号は、保険契約者又は被保険者の故意によるとき、同条同項二号は、災害保険金の受取人の故意によるときは、いずれも、災害保険金を支払わない旨を定めている。

(二) そして、前記二の1で主張したとおりであるから、右「偶然」性の要件を欠き、また、右免責条項に該当する事由があるといわなければならない。<中略>

六  被告大東京の主張

1  自賠法三条の「他人」性

原告重範は、本件自動車の運行供用者で自敗法三条にいう「他人」に当らないものというべきであるから、同原告は同法一六条一項の請求をなし得ない。<中略>

(三) さらに、前記二の1で主張したとおり、原告らは、保険金取得のため、故意に本件事故を惹起したものであるから、原告重範は、「他人」とはいえない。<中略>

七  被告阿南市の主張

1  本件山道の設置、管理の瑕疵の不存在

本件山道は見通しが良く、また、その幅員からみても、進行方向右側に避ける余裕が十分あつたことは明らかであるから、本件自動車が山腹に衝突したとすると、それは、前記二の1で主張したとおり、原告らの故意によるものか、もしくは、原告ヤスエの過失によるものであつて、被告阿南市に何らの責任もない。<以下、省略>

理由

第一原告らは、請求原因一記載の事故により、原告重範が受傷し、その結果、同原告には同二記載の両眼失明の障害が残つた旨主張するのに対し、被告らは、事実欄第三の二の1記載のとおり、かりに、何らかの交通事故により原告重範が負傷したとしても、それは、原告らが故意により惹起したものである旨主張しているので、以下、この点について判断する。

一第一、第二事故について

1  全被告共通の主張1の(一)ないし(四)記載の事実は、当事者間に争いがない。

2  そして、右争いのない事実に、<証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告重範は、全被告共通の主張1の(二)記載の事実で起訴され、保釈されたのち、第一事故前の一か月という短期間内に別紙一記載の七件の保険契約を連続的に締結したこと。

(二) 別紙一記載の⑦の契約を締結後の昭和四六年七月二三日、原告両名は、子供四人(原告両名の間には昭和三四年生をかしらに四人の子供がいた。)を大阪に残し、二人で、交通事故に遭つた三男の示談の件で、兵庫県城崎郡に向い、同地で示談決裂後、翌二四日、烏取県方面に赴く途中、第一事故に至つたこと、同事故は、原告重範運転車に、同ヤスエ運転のレンタカーが追突した結果、原告重範が負傷したというものであること、こうして、同原告は、①後頭部、左眼窩部、胸部打撲、頸椎捻挫で、野川病院に昭和四六年七月二五日から同年八月一四日まで入院し、星状神経ブロック等、むち打ちに対する治療を受ける一方、着用のサングラスの破片が左眼に入つたとして、②左眼化膿性角膜潰瘍等で、吉田医院に通院治療を受けたこと、その後、②の眼科治療のため、関西医科大学付属病院に同年八月一三日から同年九月一日まで入院し、以後同年一一月二七日まで通院し、この間八月一七日左眼水晶体吸引術を受け、一〇月六日の段階の視力検査では、右眼1.2、左眼眼前指数弁(矯正視力0.01)で、左眼のコンタクトレンズを調整したこと。

(三) さらに、原告重範は、昭和四七年四月一七日、第二事故に遭い、頭部外傷Ⅱ型、外傷性頸部症候群(事故の際、頸部過伸展、過屈曲を強制されたことによる。)の傷害を負い、同年八月一五日まで、佐木外科に入院し、その後も同年一〇月一三日まで通院し、むち打ち症の治療を受けたこと。

(四) 原告重範は、第一事故による受傷、左眼の後遺障害を理由に、全被告共通の主張1の(四)の(3)記載のとおり、自賠責保険、別紙一記載の各保険の請求をし、同記載のとおり、保険金あるいは和解金を受領したこと、もつとも、別紙一記載の各保険会社は、すべて任意の支払を拒絶し、同原告から訴えを提起されて、はじめて裁判外あるいは裁判上の和解に応じたもので、しかも、その和解金は、請求額に比し極めて低額なものにとどまつていること。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二本件事故に至る経過について

1  請求原因三、四の各1記載の事実並びに全被告共通の主張1の(五)記載の事実は、当事者間に争いがない。

2  そして、右争いのない事実に、<証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告らは、昭和四九年四、五月頃、四国に旅行することを決めたこと。

(二) その後、原告らは互いに了解のうえ、右旅行に出る直前の昭和四九年六月一一日には、本件(五)契約を、同月二一日には、本件(四)契約をそれぞれ締結したこと、この当時、原告らは、すでに、原告重範が、別紙二記載の①ないし④、本件(一)ないし(三)契約を、原告ヤスエが、本件(六)契約を締んでいたにもかかわらず、連続的に新規の右二件(保険金額合計は二八〇〇万円である。)の保険に加入したこと、そして、このような保険加入状況は、昭和四九年当時としては、その保険金額総額の点からみても、特に傷害保険が多い点からみても、極めて異常な現象であつたこと。

(三) また、原告重範は、前記一の2の(二)で認定したとおり、左眼矯正視力0.01の後遺障害が残つたとの診断を受けて以来、昭和四八年一二月一〇日の運転免許更新の際も含め、二年八か月余の期間、正規の医療機関で視力検査を受けたこともなかつたところ、四国旅行の直前の昭和四九年六月二二日、原告ヤスエとともに、大阪市都島区内のメガネ店「大学堂」を訪ね、視力検査を受け、コンタクトレンズを新調したこと(なお、右検査結果を記したとする診療録の写し(甲第一四号証)には、左眼の矯正視力が0.5の記載があるが、かりに、これが事実とすると、水晶体吸引術後三か月間においても矯正視力が0.01にしか回復しなかつたものがその後0.5まで回復したことになるところ、このようなことは、眼科的立場からみて、絶無とはいえないまでも、稀な事例とされているのみならず、三木重子医師も指摘するとおり、右検査がいかなる検査者によつて、いかなる方法で実施されたか、明確でないのであつて、右記載の内容をそのままうのみにすることには疑問がある。)

(四) こうして、原告両名は、昭和四九年六月二四日午前六時頃、あらかじめ旅行日程を立てることもなく(宿泊日数さえも決めていなかつた。)、大阪に、子供四人(当時一五歳から、当時八歳まで四子がいた。)を残したまま、本件自動車で出発して四国にフエリーで渡り、同日午後三時頃、徳島県阿南市椿町蒲生田岬の民宿「しずふく荘」に到着したこと。

(五) 原告両名は、右「しずふく荘」に二四、二五日の二日間宿泊し、この間、昼間は遠出もせず、ぶらぶらし、夜間は太刀魚釣をして遊んでいたこと。

(六) 原告両名は、同年六月二六日午前三時すぎ頃、原告ヤスエ運転の、同重範が助手席に乗つた本件自動車で、右「しずふく荘」の経営者岡本エツ子に見送られて、同所を発つたこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、原告らは、前記1及び2の事実に関し、種々説明を加え、あるいは弁明をなしているので、以下、その当否について、検討する。

(一) 四国旅行の目的について

(1) 原告らは、その各本人尋問において、いずれも、今回の四国旅行は、①高知在住の東徳義に対し、当時、大阪地方裁判所堺支部に係属中であつた原告重範を被告人とする詐欺被告事件の証人として出頭を依頼すること、及び、②当時実施されていた参議院議員選挙全国区に原告重範所属の公明党から出馬していた立候補者への投票を依頼することが目的であつた旨供述し、原告重範は、①が主目的であつたが、高知へ向う道中、②の依頼のため、かねてから心安い「しずふく荘」に立ち寄つた旨述べている。また、原告ヤスエは、東とは、同人が勤務に出る前に面談する手筈となつていたところ、「しずふく荘」の人から高知まで四時間かかると聞いていたので、それに合わせて出発時刻を決めたとも述べている。

(2) そこで、原告らの右説明の信用性について、考察する。

(イ) 証人岡本エツ子の証言によると、原告重範が同証人に対し、「しずふく荘」出発時、あるいは、もう一度位、公明党の立候補者へ投票を依頼したことが認められる。しかし、原告重範、同ヤスエの各供述によつても、「しずふく荘」滞在中右認定以上に、原告らが党関係者と会合するとか、「しずふく荘」関係者に右立候補者への投票の取りまとめを依頼するとか、あるいは部落民に直接投票を依頼するといつた等の選挙運動を行なつたことは一切なく(原告ヤスエは、自らは、「しずふく荘」の人にさえ投票を依頼したことはない旨述べている。)、前記2の(五)認定の状況のようにして過ごしていたことが明らかである。

(ロ) また、前記岡本証人は、原告らは、同証人に対し、「しずふく荘」出発に当り、「人と会う待ち合せ時間が八時で、その場所へ行くのに、今頃から出なければいけない。」と話した旨、原告らの前記供述に副う証言をしているが、他方、原告らから、どんな人に、どこで会うのか聞いたことはなく、待ち合せ場所まで、どれ位の時間がかかるかは、原告の方が知つているはずで、同証人の全く関知しないところである旨、原告ヤスエの前記(1)記載の供述とは全く異る証言をしている。

しかも、前記2の(四)で認定したとおり、原告らは、大阪を発つ際、宿泊日数等旅行日程を全く決めていなかつたのであつて、原告らは東と予め連絡をとつて四国に渡つたものでないと認められるうえ、原告ヤスエは、その本人尋問において、「原告らは、当初六月二五日東に会うことになつていたが、原告ヤスエが、同日朝寝過ぎたため、同日は高知へ向わなかつた。同月二六日原告重範受傷後、原告らから東に対し、会えなくなつたとの断りの連絡はしていない。原告ヤスエ自身、東が高知のどこに居住しているのか知らないし、同人と連絡をとつたこともない。また、『しずふく荘』出発に際し、高知県のどの方面へどの道順をたどつて行くのかも知らない。」旨述べているのであつて、このようなことから考えると、原告らは、高知の東との間に連絡をとつたうえ、面談の方法、時間等を約束し、「しずふく荘」を発つたとすることは到底できない(なお、前記乙第二号証、原告片山ヤスエ本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、原告らは、事故以後東と何ら接触したこともないにもかかわらず、同人は原告重範の刑事公判に出頭のうえ証言し、右証言は、原告重範に対する有罪判決の証拠資料となつていることが認められる。)。

(ハ) さらに、<証拠>によると、「しずふく荘」のある蒲生田岬は、徳島県の南東端に位置し(阿南市の中心部からも南東にはるか離れた位置にある。)、全戸併せても二四戸足らずの人家があるにすぎない僻地であつて、徳島県から高知県に向う幹線道路網からも著しくはずれた方角にあることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によると、蒲生田岬は、原告重範が供述するように、参議院議員選挙のしかも全国区の候補者への投票を依頼するため、わざわざ立ち寄る価値のあるところとしては、余りにも辺鄙なところであり、そもそも四国旅行の目的地である高知からも、著しくかけ離れたところといわざるを得ないのであつて、いずれにしても、原告らは、一方で東に会うことを急務であるとしながら(原告重範は、刑事事件の公判が、一〇日か二〇日後に迫り、東に出廷してもらうので、どうしてもその日に行かなければ間に会わないとか、気分的にせつぱつまつていたので、証人のほうへ何とか出廷してもらうのでとか述べている。)、東の居住地近くの高知に宿を求めた形跡が全くなく、高知からはるかかなたの蒲生田岬に投宿したというのは、何としても理解し難いところであるといわなければならない。

以上の諸点を勘案すると、原告らの前記(1)の供述(四国旅行の目的とこれに密接に関係する「しずふく荘」を発つ時刻の決定に関する供述)は、到底信用することができない。

(3) 以上認定したところによると、原告らの四国旅行の目的は、原告らの説明する以外のところにあつたといわなければならず、したがつて、原告らが「しずふく荘」出発時刻を午前三時すぎに設定したことも、原告らの述べるところとは、全く別の意図によつたものと推認せざるを得ない。

(二) 保険加入について

(1) 原告重範は、その本人尋問において、本件(一)、(二)契約は、かねて交際のあつた保険代理店経営者花房源太郎が、自己の営業成績を上げようとして保険料を立て替えて払つてくれたため、やむなく加入した二件の保険を更新したもので、更新の際も、同人が一方的に保険料を払い込んでしまつたので、仕方なくこれに応じ、決して積極的に加入したわけではない。また、本件(三)契約は、別紙二記載の⑤の保険期間満了が近づいていたうえ、個人賠償責任保険加入の必要から、右⑤保険の安田火災海上の青木某を通じて被告インターの保険外交員岡本宏明を紹介され、同人の強い勧めを受け、付き合いに加入したにすぎない旨供述している。

(2) そこで、原告重範の右弁明について、検討する。

(イ) <証拠>によると、本件(一)、(二)契約は、いずれも、その一年前に結ばれた同一の契約を更新したものであること、もつとも、本件(一)契約の保険金額は一〇〇〇万円で、従前の保険金額五〇〇万円の二倍に引き上げられているのに対し、本件(二)契約の保険金額は五〇〇万円で、従前のまま据置かれたことが認められる。

かりに、原告重範の供述どおりだとすると、花房源一郎が同原告の断りもなしに、右認定のとおり、交通事故傷害保険の保険金額のみを引き上げたことになるが、このようなことは、通常考え難いことといわなければならない。

また、証人花房源一郎の証言に照らしても、原告重範が述べるように、同証人が保険料を立替えて支払つたため、保険加入を余儀なくされたとは、到底認め難い。

(ロ) さらに、前記認定のとおり、前記⑤の保険の保険金額がわずか一五〇万円にすぎないのに、本件(三)契約のそれば二〇〇〇万円であること、また、証人岡本宏明の証言によると、原告重範は傷害保険に詳しく、同証人に対し、外資系の保険会社の方が保険金が下りやすいと話していたことが認められることからすると、単に⑤保険期間満了の代替として、本件(三)契約を結んだものと考えることはできない。

(ハ) また、四国旅行決定後本件(四)、(五)契約に連続して加入した点について、その動機等の十分な説明はない(原告ヤスエは、本件(四)契約につき、旅行中何かあつたらいけないので、いつものとおり入つたにすぎないと述べているにすぎない。)。

以上の諸点のほか、原告重範の前記(1)の供述のものに不自然な点が見受けられること等を併せ考えると、右供述は到底信用できない。

(3) このように考えてくると、原告らが前記2の(二)で認定したような多数の高額な保険に加入したことを十分説明し得るような事情は何ら存しないといわざるを得ない。

(三) 視力検査について

(1) 原告重範は、その本人尋問において、関西医科大学付属病院に通院中、左眼のコンタクトレンズを調整したとき、居合せた患者仲間から、「大学堂」というレンズ屋は上手だと聞いていたので、刑事事件の関係者に都島で会つたついでに、右「大学堂」に寄つて視力検査を受け、コンタクトレンズを新調したもので、四国旅行前を選んでわざわざ視力検査を受けたものではない旨供述している。

(2) そこで、原告重範の右供述について、検討する。

(イ) 前記2の(三)で認定した事実によると、関西医科大学付属病院へ通院していたのは、「大学堂」を訪れる二年八月も前のことであると認められるのに、原告重範が、何故四国旅行前の時期に急に右通院時の患者仲間の話を思い出したのか極めて不自然、不可解というほかはない。

(ロ) しかも、原告重範は、コンタクトレンズは大工仕事に必要で、車の運転には必要ではないとも述べているのであつて(なお、原告重範は、四国に渡る際、コンタクトレンズを着用せず、本件自動車を運転した旨述べている。もつとも、原告ヤスエは、四国旅行で本件自動車を運転したのは原告ヤスエであつて、原告重範は全く運転に関与していない旨述べているので、果していずれが真実かは判然としないが、この点はしばらく措いておく。)、もし、そうだとすると、旅行中コンタクトレンズを必要とする事態は考えられないことになり(大工仕事はこの間当然しないことになる。)、原告重範の前記(1)の供述は、一層不可解なものとなつてしまう。

以上の諸点を併せ考えると、原告重範の前記(1)の供述は、取つて付けた様な弁解であつて、到底そのまま信用することはできない。

(3) してみると、原告重範は、四国旅行に発つ直前を選定し、視力検査を受けたものといわざるを得ない。

三本件事故の態様について

1  原告ら主張の日時、場所(ただし、本件山道の幅員が約三メートルであるとの点は除く。)において、原告ヤスエ運転の本件自動車が山腹に衝突したことは、原告重範と被告阿南市との間では争いがない。

2  <証拠>を併せ考えると、前記1記載の事実並びに次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故の発生したとされる現場は、阿南市蒲生田と同市福井とを結ぶ唯一の道路である本件山道上であること、現場付近の本件山道は、幅員5.2ないし5.6メートルのでこぼこの未舗装道路であり、また、東側蒲生田方面から現場に至る場合、S字型カーブ(いつたん大きく左に曲り、次いで小さく右側に曲つている。)に続く現場までの二〇数メートル前後の区間は、直線で、下り勾配もわずか五パーセント程度にすぎないため、見通しは良好であること(なお、本件山道は、現場から西側福井方面約数メートルの辺りから、再び左側に大きく湾曲している。)、また現場付近の本件山道の北側(海側)は、山道よりも一段と高い、山林の茂る帯状の部分が広がつて崖に連なり(なお、現場西方のカーブ付近では、右帯状の部分は、山林が切れて山道と同じ高さの雑草の生えるところとなつている。)、南側(山側)は、山の傾斜面となつていること、また、本件山道は、通行車両はほとんどなく、特に、夜間は、皆無といえる状況にあつたこと、事故当時、天候は晴であつたこと。

(二) 原告ヤスエは、本件山道をかつて四、五回通つたことがあり、また、昭和四九年六月二四日、「しずふく荘」に向う際、本件自動車を運転して通行したことがあること、ところで、同原告は、事故の際、夜明け前でわずかに空が白んできた程度であつたため、本件自動車(車幅1.57メートル、車長4.23メートル)の前照灯を正位置にし、時速二五ないし三〇キロメートルの速度で、事故現場に差しかかつたこと、そして、同原告は、現場において、ブレーキを全くかけないまま、本件自動車の左前輪を直接山腹に衝突させたこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、原告らは、事故の状況について、原告ヤスエが、本件山道中央付近にあつた直径約三〇センチメートルの石塊を認め、これを避けるべく、左にハンドルを切つたため、本件自動車を山腹に衝突させた旨主張するので、以下検討する。

(1) 原告ヤスエは、乙第一号証(実況見分時の指示説明)、本人尋問において、右主張に副う供述をしている。なお、乙第一号証では、原告ヤスエは、前方約五メートルに、はじめて石塊を発見した旨説明している。

ところが、同女の本人尋問と乙第一号証を仔細に検討してみると、次のとおり、重要な点で、くいちがいがみられる。

すなわち、本人尋問によると、本件自動車が山腹に当たつて停止後、原告ヤスエは、直ちに車から降りたところ、避けようとした石塊は、右前輪の横にあつたので、それをかかえて、山道の海側脇に置き、再び車に乗つたが、フロントガラスが割れて見えにくかつたので、また車から降りて、右ガラスを落したうえ乗車して、いつたん後退し、車輪を元に戻したのち、前進して阿南市に向つた、旨述べている。一方、乙第一号証の指示説明によると、原告ヤスエは左にハンドルを切つて、石塊を避け、石塊の左横付近で山腹に衝突し、そのまま6.5メートル山腹沿いに前進して停止したと述べているのであつて、このとおりとすると、石塊は本件自動車の停止位置の右後方にあつたことになつてしまい、前記本人尋問とは異り原告らが本件自動車で、そのまま阿南市に向うには、石塊の存在は障害とならず、これを除去する必要もないことになる。

また、原告ヤスエは本人尋問の中で、本件自動車が石塊に乗り上げたと述べるところがある反面、乗り上げてはいないとも述べているのであつて、相矛盾する供述をしている。

しかも、同原告は、原告ら代理人から石の発見が遅れた理由について問われた際、「その点覚えていないんですけれども、右側の港のほうに目がいつたんじやないかと思いますけれども。」と述べるなどあいまいな弁解に終始しているのみならず、前記2の(一)、(二)で認定した現場付近の地形、当時の明暗のほか、一般に、乗用自動車の前照灯が正位置の場合、夜間前方一〇〇メートルの距離にある交通上の障害物を運転席から確認できることをも併せ考えると、かりに、原告ヤスエの供述どおりとすると、同原告は、現場東方約二十数メートルのS字型カーブで、ハンドルをいつたん左に切り、次いで直進態勢にすべく、これを右に戻しつつありながら、全く前方を見ないで(本件山道は、S字型カーブを過ぎると、直線になり、当然前照灯に石塊が浮び上がることになる。)、当時空が白けた程度で暗く、進路右方は山道より一段と高く土手のようになり、しかも山林が茂つているため、海側の視界は遮られていたはずであるのに、右方の港側を見ていたことになつてしまうわけで、このようなことは有り得ないことといわなければならない。さらに、前記乙第一号証、証人田村禎章の証言によると、原告ヤスエは事故当日午前九時二〇分から同一〇時まで実施された実況見分に立会つた際、自らの手でかかえて道路脇に置いたはずの石塊を遂に見付け出すことができなかつたことが認められるのであつて、このこと自体極めて奇妙なことであるといわなければならない。

以上の諸点のほか、前認定のとおり、本件自動車の幅が1.57メートルであるのに対し、本件山道の現場付近の幅員が約5.6メートル(その西方では山道に続く幅約3.5メートルの雑草の生えている部分が北側に張り出している。)であることを併せ考えると、原告ヤスエの前記供述は到底信用することはできない。

(2) また、原告重範は、本人尋問において、「原告ヤスエがハンドルを持つているのに、何かちよつと不安があつたので、ダツシユボードのところへ身を乗り出し、顔を前に出して見ていたところ、進路前方に石があるのが認められた。ところが原告ヤスエはなおも、まつすぐ石の方に突つ込んで行くような感じがしたので、『石があるから危ない。』と言つた。そうすると、原告ヤスエは、やにわにハンドルをパツと左に切つた。」と述べ、石の形状等についても、「大きさにしてひと抱えくらい。三〇センチメートル、もつとあつたかも知れない。高さも、かなりあつた。車の下にくぐつてとおすことができないくらいであつた。当時、左眼のコンタクトレンズはしていなかつたが、右眼だけでも、十分見えた。」と供述している。

しかしながら、右供述は、四国旅行で、ほとんど原告ヤスエに運転を委ねた原告重範が、事故時だけ原告ヤスエの運転に不安を感じたとする点でも、原告ヤスエが「港の方を見ていた。」と供述しているのに、助手席の原告重範のみが前方を必死で注視していたとする点でも、不自然、不可解な内容を含んでいるばかりか、原告重範が「危ない。」と声を挙げたとする点などは、全く原告ヤスエの述べていないところであるうえ、石塊の大きさ等も、原告ヤスエの述べるところよりも、誇張された内容となつていることがうかがえる。

これらのほか、証人田村が現場の石の散乱状況について述べるところを併せ考えると、原告重範の供述も到底信用することはできない。

(3) 以上のとおり、原告らの主張に副う証拠は、信用することができないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

そして、既に指摘した数数の疑問点からすると、原告ヤスエが、本件自動車のハンドルを左に切り、ブレーキをかけないまま、山腹に衝突させるといつた運転方法は、通常人には到底理解することができないやり方といわなければならない。

なお、原告らは、本件自動車が山腹に衝突した際、山側からの落石があり、これが右車のフロントガラスを直撃した旨主張しているけれども、これを認めるに足りる証拠は存しない。

四受傷状況について

1  <証拠>を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告両名は、事故当日の午前六時すぎ頃、本件自動車で阿南警察署に出頭したこと、その際、原告重範は、本件助手席のリクライニングシートを倒し、顔面にタオルを当てたまま寝ていたこと、そこで、同署警察官田村禎章は、原告らに、まず、傷の手当を受けるように指示したこと。

なお、この時点で、本件自動車のフロントガラスは全面的に割れ、前輪リレーロツトの一部が曲がり、ボディー屋根左角にわずかに傷があつた以外には、前照灯、バンパー、助手席側窓ガラスを含めて全く異常はなかつたこと。

(二) その後、原告重範は、同ヤスエに伴われて原田病院整形外科を訪れ、原田正和医師の診断を受けたこと、同医師は、同原告の前額部に擦過傷と腫張を認め、頭部外傷Ⅰ型と診断したが、同原告が眼の痛みを強く訴えたため、早朝のことでもあり、入院措置をとつて、傷の手当をしたものの、眼については、専門外で、何らの設備、器具もなかつたこともあつて、鎮痛剤を投与するにとどめ、眼科医の診断にすべてを委ねることとしたこと、なお、同医師は、原告重範の眼、頭髪は無論、身体にもガラス片の付着を認めてはいないこと。

(三) そのため、原告重範は、原田医師の紹介で、同ヤスエに付添われて笹野眼科を尋ね、笹野敏治医師の診察を受けたが、その際、同医師に対し、受傷時の状況として、フロントガラスで眼をけがした旨申告し、右眼の疼痛を強く訴えたこと、そこで、同医師は、細隙灯顕微鏡検査をも実施して入念に診察した結果、右眼の角膜表層の中央下部に大小多数の不正円形の表皮剥離を認めたが、角膜を穿孔するような傷は認められず、ガラス片等の異物も見受けられなかつたため、散瞳薬及びビタミンB2を点眼するとともに、ビタミンB2の注射を行つたにとどめたこと、その後、原告重範は、六月二八日まで、前記原田病院に入院していたが、笹野眼科に通院することもなく、わずかに同日原告ヤスエが点眼薬の受領に赴いたにすぎなかつたこと。

(四) その後、原告重範は、大阪に戻り、七月一日斉藤眼科で受診したが、その際も、右眼痛を激しく訴えたこと、さらに、同月二日関西医科大学付属香里病院でも、右眼の疼痛を訴え、受傷時の状況として、目に車のガラスが入つたとの説明をなしたこと、そこで、伊室隆弘医師は、両眼を精査したが、左眼角膜には異常はなく(前記水晶体吸引術後の状況と同じであつた。)、右眼角膜には損傷が認められたものの、ガラス片等の異物は全く認められなかつたため、原告重範に異物摘出の有無を尋ねたところ、同原告は、最初かかつた病院の看護婦にガーゼでこすつて除去してもらつた旨の虚偽の説明をなしたこと、こうして、原告重範は、同病院に同月九日まで入院し、同年八月八日まで、三日間通院したが、この間、伊室医師は、左眼について全く治療の必要を認めず、右眼のみについて消炎剤の投与を行い、右眼角膜の傷そのものは最終通院時には完治したこと。

以上の事実が認められ<る。>

2  ところで、原告らは、その本人尋問において、受傷状況に関し、詳細な供述をしているので、以下、この点について、検討する。

(一) 原告らの供述は、次のとおりである。

(1) 原告重範は、本件自動車助手席ダツシユボードに手を置き、前方を見ていたところ、本件自動車の左前輪が山腹に当つたとたん、フロントガラスが全面に真白になるようにしてひびが入り、座つたまま、上半身が前に倒れ、そのまま頭からフロントガラスの中に突つ込んだので、右ガラスは突つ込んだ部分だけが穴のように抜けた。そして、原告重範は、助手席に座したまま額全体がぶつぶつと赤くなつて、両眼を「痛い」といいながら押さえていた。原告ヤスエは、「ガラスが入つたんではないか。」と声をかけ、車を降りて、石塊を山道脇にのけ、再び運転席に乗り込んだが、フロントガラスにひびがいつていて前方が見えなかつた。そこで、同原告は車を降り、穴のあいた部分から順次ガラスを落していつた。その一部は車内に落ちた。その後、同原告は、運転席に乗つて、いつたん後退して、車輪をもとにもどし、阿南市中心部に向け発つた。この間、原告重範は終始(原告ヤスエがフロントガラスを落している間も含めて)助手席に座つたまま両眼を押さえつづけていた。

(2) その後、原告らは、阿南警察署に出頭し、次いで、その紹介で、原田病院整形外科を尋ね、原田正和医師の診察を受けた。その際、原告重範は、両眼の痛みを激しく訴え、しかも、頭髪は勿論、身体全体にわたつてガラス片が付着していたので、同医師は、直ちに、点眼麻酔を実施し、ガーゼで、両眼を拭つて、入つていたガラスの細片を摘出する処置をとつた。

そこで、原告重範は、原田医師の紹介で、原告ヤスエに付添れて、笹野眼科医院を訪れ、笹野敏治医師の診察を受け、両眼とも治療を受けた。

さらに、原告重範は、大阪に戻つたのちも、斉藤眼科、関西医科大学付属香里病院でも、両眼の疼痛を訴えて、治療を受けた。

(二) そこで、原告らの供述の信用性について、考察する。

まず、原告らの前記(一)の供述中、(2)の部分すなわち、両眼を負傷し、原田病院での応急措置を受け、他の病院で両眼とも治療対象となつたとする部分は前記1冒頭で掲げた証拠に照らし、明らかに虚偽であるから、到底信用することができない。

次に、原告らの前記(一)の(1)の供述部分について、考えるに、前記1の(一)及び前記三の2の(二)で認定した事実によると、本件事故は、本件自動車の左前輪を直接山肌に衝突させたもので、リレーロツトの一部が曲がる程度にすぎず、前照灯(特に左方)、左助手席側窓ガラス、バンパー等に全く異状がなかつたと認められるのに、フロントガラスのみが、全面的にひびが入るとは考え難いこと、しかも、フロントガラスにいつたん顔面から突つこみ、直ちに元に戻つたと述べる部分は、原告重範自身があらかじめ助手席で身構えていたと述べていることからみても、また、前記1の(二)で認定したとおり、原告重範の頭部、前額部を除く顔面、頸部に全くガラス片による傷害が見当らず、その付着すら見受けられないことからみても、不自然、不合理であるうえ、顔面全部をフロントガラスに突つ込みながら、前記1の(三)及び(四)で認定したように、健常な右眼に限つて損傷を受けたというような事態は、一般的にはなかなか生ずるものではないことのほか、前記(一)の(2)の供述部分が虚偽であること(前記(一)の(1)と(2)は相互に関連をもつていることは、その供述内容に徴し、明白である。)をも勘案すると、前記(一)の(1)の供述部分も、にわかに信用することはできない。

3  してみると、原告重範が、本件自動車の左前輪が山腹に衝突した際、いかなる態様で傷害を受けたものかについて、その状況を認定するに足りる証拠は皆無といわなければならず、したがつて原告重範の右眼の傷害が何に起因するのかを詳らかにすることはできない。

なお、証人笹野敏治の証言中には、右傷害の状況に鑑み、ガラスから生じたものとすると、小さなかけらではなく、ある程度の大きさのもので眼の表面をこすつた場合に可能性があるという部分も存するけれども、原告らの供述は、全面真白にひびの入つたガラスに顔面から突つ込んだことによるものとするもので、既にガラスは小片にひび割れた状態になつていることを前提とするものであるうえ、右証言のみでは、先に述べた疑問はいずれにしても解消しないから、右証言部分を採用することはできない。

五両眼失明について

1  <証拠>鑑定人真鍋禮三の鑑定の結果によると、次の事実が認められる。

(一) 前記伊室医師は、原告重範の右眼の治療に当つていたが、右眼角膜の損傷そのものは次第に回復しているにもかかわらず、視力改善の兆が一向にみえなかつたため、眼科的所見では右症状を説明できないとの疑問を抱き、関西医科大学付属病院脳神経外科に紹介したこと。

(二) 同科河村悌夫医師は、昭和四九年七月二九日から同月三一日まで、二日間原告重範を診察したが、頭部、頸部のレントゲン検査に異常はなかつたものの、頸部に圧痛が認められたことや、同原告が頭痛、頸部痛を訴えていたこともあり、外傷性頸部症候群、頸部交感神経過敏症と診断し、これが視力についての訴えを修飾があるのではないかとの意見を付し、頸部の治療を推めたこと。

(三) 原告重範は、その後、野川病院で頸部についての治療を受けたが、改善せず、なお、視力検査では、両眼とも眼前手動弁とされていること。

(四) ところで、このような原告重範の症状について、前記伊室医師は、外傷性頸部症候群、頸部交感神経過敏症という症状によつては説明し切れない高度の障害であり、ヒステリー症状といつた心因的要素、その他社会的要素を加味して説明するしかない旨の所見を明らかにしていること。

(五) また、鑑定人真鍋禮三は、角膜、前房、水晶体、眼底は、第一事故による後遺症状を除き、正常であり、ERG、EER、VER、頭部レントゲン、X線断層撮影、視神経管撮影、OTスキャン等の各種検査も正常であるのに、視力検査では両眼とも眼前手動弁であつたことから、いわゆるむち打ち症に由来するものではないかと考え、高浸透圧剤マニトールの静注を実施したところ、原告重範の頭痛が軽快したことから、右視力障害は、むち打ち症に伴う皮質盲との判断を下したこと、もつとも、同鑑定人は、右視力検査は、被鑑定人の協力を要する自覚的検査方法で行つたこと、むち打ち症に由来する皮質盲は、文献上もほとんど触れられず、症例としても、大阪大学で一例ある程度の、パーセントでも表わせない程度の稀有の例であること、原告重範の症状の場合、同原告の説明ではガラスに頭を突つ込んだという程度で、それ程むち打ち症が問題となつていない点からしても、第一、第二事故によるむち打ち症が原因となつているとも考えられること、また、皮質盲には、全く見たくないといつた精神的抑制が作用するということも含まれること、なお、原告重範が強調していた右眼の損傷は、皮質盲とは全く無関係であることなどを明らかにしていること。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 ところで、前記四で認定したところから明らかなとおり、本件事故の際、原告重範がフロントガラスに顔面を突つ込んだとする原告らの供述そのものが信用できず、したがつて、原告重範が本件事故の際、どのようにして受傷したかを確定するに足りる証拠が存しない本件では、原告重範の症状を皮質盲であると仮定しても、これと本件事故との関連性を肯定することはできないといわなければならない(しかも、第一、第二事故はいずれも原告重範の頸部に相当の衝撃が加わつた事故であることは、前記一で認定したとおりであり、これに、前記1の(五)で認定した事実を併せ考えると、第一、第二事故によるむち打ち症状が皮質盲に関連していることは明らかである。)。

六以上一ないし五の認定、説示によると、原告ヤスエ運転の本件自動車が、山腹に衝突したという事故そのものの発生自体は認められるけれども、それ以上に、原告重範の受傷時の状況、受傷部位とその内容、右受傷と失明との因果関係を確定することができないのみならず、四国旅行に先立つ一か月以内に、異常な程高額な保険契約に加入し、わざわざ長期間放置していた視力検査を受けていること、しかも、右旅行の目的が原告らの説明とは別なところにあること、したがつて、「しずふく荘」をあえて未明に出発し、通常理解し難い運転方法で本件事故を惹起したと考えられること、受傷時の状況、その後の応急措置、傷害の内容等につき、原告らに、明らかに虚偽の供述をなしていること等が認められるのであつて、これら諸事情に、本件自動車の山腹衝突という事故発生に関与した者は原告ら以外にいないということをも併せ考慮すると、本件事故は、原告らにおいて、何ら合理的な説明をなしていないので、被告ら主張のとおり、原告らの故意によつて作出されたものと推認せざるを得ない。

第二原告らの被告日産、同インター、同ライフに対する各本訴請求は、いずれも保険契約に基づき保険金の支払を求めるものであるところ、被告日産の主張1の(一)記載の事実は、原告重範と同被告間に争いがなく、前記第一の六記載のとおりであるから、同主張1は理由があり、また、被告インターの主張1の(一)記載の事実は、原告重範と同被告間に争いがなく、前記第一の六記載のとおりであるから、同主張1は理由があり、さらに被告ライフの主張1の(一)記載の事実は、原告らと同被告間に争いがなく、前記第一の六記載のとおりであるから、同主張1は理由があることになり、いずれも、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

第三原告重範の被告大東京に対する本訴請求は、自賠法一六条一項に基づくものであるから、被害者である同原告の保有者に対する同法三条本文の規定による損害賠償請求権の発生を前提とすると解されるところ、前記第一の六記載のとおりである以上、同原告は、同条本文の「他人」に当らず、右損害賠償請求権は発生しないことになるから、右本訴請求は、その前提を欠くものであつて、その余の判断をするまでもなく、失当であるといわなければならない。

第四原告重範の被告阿南市に対する本訴請求は、国賠法二条一項に基づくものであるところ、同被告が本件山道の設置、管理に当つていたことは争いがないが、前記第一の三で詳述のとおり、同原告主張の石塊及び落石の存在を認めることができないことは勿論、同六で述べたとおりであつて、本件山道の設置、管理に瑕疵のないことは明白であるから、その余の判断をするまでもなく、失当である。<以下、省略>

(弓削孟 佐々木茂美 孝橋宏)

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